言いたい事
2002年7月15日 集会でたまたま討論してて、議論に負けたといって大変悔しがっている青年に出会うことがある。私は彼に心から同感する。いったい、議論して、勝ったとか負けたとか言うのはおかしなことだ。何が勝ちで、なにが負けか。私は、批評家という職業上議論して相手をやりこめる方法を考えることがある。その方法は簡単で、息もつかせず理屈を次々と並べて、しかも大声を出せば、勝ったような錯覚を抱く事ができるのである。いわばスポーツである。言葉の投げ合いである。
そのときはおもしろいが、考えてみるとむなしいものだ。問題が複雑なほど、議論で決着がつけられないのは当然である。いったいどこに困難があるのか、困難な点を少しでもはっきりさせただけで大成功なのだ。次の機会に、またゆっくりと考えればいいわけである。
それと、問題が複雑なほど、その場でいきなりは発言できないものだ。言葉に困ってしまう。心の中で、もやもやしていたり、あれこれとこまやかに考えていると、用意にものが言えなくなるものだ。ところが討論していると、いやでも何か言わなければならないはめに陥ることがある。つい口を滑らして、とんでもない事を言ったり、まずい言葉が飛び出して、心にもない誤解を受けたり、さんざんな目にあうものだ。私はどんな座談会に出席しても、後で必ず変な気恥ずかしさを感じる。つまらん事をとくとくと述べたと言う後味の悪さを感じないことはまずない。
ところで、議論に負けたといって、悔しがっている青年の事だが、私は全て、議論に負けったと思っている人の味方である。そういう人は、家に帰ってから、実はあの時ああいうべきであったとか、自分の本心はこうなのだが、何故あの時それを上手く表現できなかったのか、とかくよくよ考え、要するに自分など口下手で、討論する柄ではないと大変しょげ返る。そして、机に向かってペンをとって、なにやら自分の不満を書き始める。一人でペンを書いてみると、議論したときよりは、少しまとまってきて、やっと自分の言いたい事がわかったような気になるものである。
私はそういう青年を好む。内気といえば内気だし、何故もっとみんなの前で発言する勇気をもたないのかと責めることもできよう。しかし私がこうした青年の味方になるのは、議論に『負けた』ことで、言葉がどんなに微妙で不自由なものか、身にしみて感ずるであろうからだ。
討論は楽しいものだ。討論しながら仲良くなるのは、社会生活を豊かにしていく上で大切な事だ。しかし私が言いたいのは、討論の楽しさは、今述べたような口下手の悲しみを味わう事で裏付けられていなければならないと言う事だ。上手く表現できないで、もぐもぐしている人の心を察して、お互いにいたわりあう事こそ大切なのである。
〜とある教科書より
そのときはおもしろいが、考えてみるとむなしいものだ。問題が複雑なほど、議論で決着がつけられないのは当然である。いったいどこに困難があるのか、困難な点を少しでもはっきりさせただけで大成功なのだ。次の機会に、またゆっくりと考えればいいわけである。
それと、問題が複雑なほど、その場でいきなりは発言できないものだ。言葉に困ってしまう。心の中で、もやもやしていたり、あれこれとこまやかに考えていると、用意にものが言えなくなるものだ。ところが討論していると、いやでも何か言わなければならないはめに陥ることがある。つい口を滑らして、とんでもない事を言ったり、まずい言葉が飛び出して、心にもない誤解を受けたり、さんざんな目にあうものだ。私はどんな座談会に出席しても、後で必ず変な気恥ずかしさを感じる。つまらん事をとくとくと述べたと言う後味の悪さを感じないことはまずない。
ところで、議論に負けたといって、悔しがっている青年の事だが、私は全て、議論に負けったと思っている人の味方である。そういう人は、家に帰ってから、実はあの時ああいうべきであったとか、自分の本心はこうなのだが、何故あの時それを上手く表現できなかったのか、とかくよくよ考え、要するに自分など口下手で、討論する柄ではないと大変しょげ返る。そして、机に向かってペンをとって、なにやら自分の不満を書き始める。一人でペンを書いてみると、議論したときよりは、少しまとまってきて、やっと自分の言いたい事がわかったような気になるものである。
私はそういう青年を好む。内気といえば内気だし、何故もっとみんなの前で発言する勇気をもたないのかと責めることもできよう。しかし私がこうした青年の味方になるのは、議論に『負けた』ことで、言葉がどんなに微妙で不自由なものか、身にしみて感ずるであろうからだ。
討論は楽しいものだ。討論しながら仲良くなるのは、社会生活を豊かにしていく上で大切な事だ。しかし私が言いたいのは、討論の楽しさは、今述べたような口下手の悲しみを味わう事で裏付けられていなければならないと言う事だ。上手く表現できないで、もぐもぐしている人の心を察して、お互いにいたわりあう事こそ大切なのである。
〜とある教科書より
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