それぞれの正義

2001年10月9日
ついにアメリカの報復攻撃が始まった。
今回のアメリカでのテロ事件に関する出来事には、いろいろと考えさせられる。

双方の言い分があるが、第三者の目から見ると、これほどおかしな事はない。

まず、アメリカの自分たちこそ正義だという態度は気に入らない。
国を代表する大統領が正式な場で「正義」という言葉を発した瞬間、正直言ってぞっとした。
今回の報復攻撃は正義の攻撃だという。
ということは、アメリカが正義だと判断すれば、それが間違っていたとしても「正義の名のもとに」実行されるということだ。
例えそれが今回のような「殺人行為」であっても。
アメリカ人は考えた事があるのだろうか。
多数の犠牲者を出した貿易センタービルのテロ事件も、向こう側にしてみれば「正義の鉄槌」だということを。

正義とは、決まった形あるものではない。
正義とは、それぞれの人間が各々の中で作り上げる自分の行動理念のようなものである。
すなわち、人によって正義とは違うものであるということ。
そんなあやふやなものを、人を殺める理由にしてはいけない。
例えそういうような考えがあっても、一国の代表が口に出していい台詞ではない。
はっきりいって、言って欲しくなかった。
「自分たちがやることは決して正しくないけれど、テロリストを倒し、これ以上犠牲者を増やさないためにはこれしかない」
とか言ってもらえたら、もっとアメリカを支持できたのだが。

それと、アメリカはテロを起こされた事にしか照準を合わせていない。やられたらやり返す。まるで子供のけんかだ。
考えねばならないのは、どうやり返すかではなく、なぜやられたかではないのか。
そして、どうしたらアメリカに対してテロを行おうなどという考えを起こさないのか、ではないのか。
アメリカは自分たちの正義を信じすぎている。
今回のテロは、それをもう一度考え直すいい機会になるのではないか、と思った。
多くの犠牲によって、アメリカは自分たちを考え直す事ができるのではないかと思った。
しかし、それはなかった。
とても残念である。

昔、正義を掲げ、侵略の限りを尽くした進軍があった。
「十字軍」
今回の「正義」も、このときの「正義」も、きっと同じ物なのだろう。

かたやイスラム教。
こちらも「聖戦」などという大義名分に身を隠している。
テロリストを支持するような考えに、「正義」などあるはずがないのに。
しきりに「神」の名を口にしているが、それは「神」の名をかたり「人殺し」を正当化しようとする、一番の冒涜ではないのか。
だいたい、「神はアラーのみ」とか言っておきながら他の宗教に戦いを挑むのは、他の宗教の存在を認めているがゆえである。
もうあそこまで行くと、宗教というよりは「洗脳」である。信仰者ではなく、「被洗脳者」というほうが正しい。
神とは人間を正しい方向へ導いてくれる存在ではないのか。
信じる神は違っても、神とは人間のための存在であり、その力で人を助けるのが神ではないのか。
だが彼らの話を聞いていると、神とはもはや血と争いを好む邪悪の化身としか思えない。
人はそれを「悪魔」と呼ぶのではなかったか。

宗教がどうとか、今までの仕打ちがどうであったとか、そういう事抜きの真っ白な心で一度自分たちの行動を見つめなおして欲しい。
そうすれば、自分たちの過ちに気づくはずである。

今回のテロでは首謀者が鍵を握っているようなことが言われたが、そうではない。
あの行為を平然と「神の鉄槌」と言い放てるような人間を教育してしまった社会自体に問題がある。
もうあれは「イスラム教だから」とかいう問題ではない。人間性の問題である。

爆撃された方のトップはアメリカが武力行使をした事に対し非難をしている。
確かに戦争は絶対的に間違った選択肢であったが、そのきっかけを作ったのはどこの誰であったか。
敵を非難するのもいいが、その前にやるべきことがあるだろう。

どちらも正しくはない。
戦争という手段をとった間違い。
テロ行為を行った間違い。
良く言われる。
戦争は、どちらも自分の正義にしたがって行っている。
今回の件は、それをとてもよく表している。
おろかな国同士の戦争から、日本が、我々が学ばなければいけないのは何か。

果たして、アメリカの攻撃が終わる頃には、自分たちの過ちに気づく事ができるのだろうか。

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