過大評価

2001年5月10日
俺は昔から過大評価されがちだった。

高校のころ、友達の分析をする、ということで他人の自分への評価を見る機会があった。
クラス全員分の評価を書いた後、匿名でそれを本人に見せる、というものだ。

ほとんどの人が
「何をやらせてもできる感じがする」
と書いていた。

過大評価もいいところだ。

未だに中学校時代の友達には、俺を
「違う世界の人間扱い」する人がいる。
よく、「できない事はない」みたいに言う。
伝わりに伝わって、同級生の親なんかは、
人をどこぞの優等生みたいに見る。

違うのに。
その評価は、正しくない。


俺は、スポーツ全般が苦手だ。
家で絵を書いてるような人間なのだから、
体を動かすのは得意じゃない。
その事を、最近ある人に言ったら、
「へぇ、なんでもそこそこにできるのかと思っていた」
と言われた。
それで思い出した。

同時に思った。
まだ、過大評価の気は残っているのか、と。


高校に入り、周りの人間のレベルが統一された。
大学に入って、それは一段と絞られた。
それで、自分に対する評価は適当なものに変っていくものと思っていた。

しかし、それは未だに変らない。


昔から、評価の後を歩いていた。
何かをやって、評価がついてくるのではなく、
期待という名の評価が先を歩いていた。

必死に走った。
追いつくように。
負けず嫌いな性格が後押ししていた。

追いつく。
すると、人はまた先の評価をする。
また走る。

追いつく。


中学校まではそれでよかった。
しかし、高校生になって、できない事が増えてきた。
追いつけない。
こんなにも自分にできない事があると知った。
先を行く評価に追いつけなくなった。

その瞬間、解った。

過大評価だと。

今まで、自分は「正当な評価」をされていたわけではなかったのだ。
全て「過大評価」だったのだ、と。

「過大評価」を「過大評価」といわれるのが怖くて、必至に喰らいついていたに過ぎない。


やめた。


「過大評価」は「過大評価」だと言う事にした。
「正当な評価を」望むようになった。

怠け者になったのかもしれない。

でも、もう疲れた。


できない事をできるフリをするのはやめた。
できない事は、できないと言うことにした。

できることをやるようにした。


こんなにもできない事が沢山ある。
なのに、何でもできるような事を言われる。

心外だ。

できない。

望んだ大学にもいけないようなやつに、何ができるというのか。

なのに、なぜまだ過大評価されるのか。

スポーツはできない。
いざという時、口が上手く回らない。
緊張すると、何もできない。
頭で数式を処理するのが遅い。
頭が固くて発想が出ない。
新しい事への想像力がない。
できない事だらけだ。

だから、できることをやる。

そう、俺はできる事をやっているだけ。

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