久しぶりに
2001年3月24日いや本当に書くの久しぶり。
忙しい忙しい。
ま、4月から違うキャンパスで過ごすことになるので今のうちに遊んどこう、ってことで忙しいだけなんだが。
日記も書かないと癖になる。
書いていると書くのが癖になるが。
きっと、4月になったら毎日やることがなくて、日記をつけるのも欠かさない気がするが。
いろんな人と一対一(サシ)で呑むのが流行っている。
というか、俺だけか。
ここ数週間でいろんな人とサシ呑みをした。
たくさんいろいろな話をした。
そしていろいろ考える。
人と話をするたびに、人と自分の価値観の違いに驚かされる。
自分と相手とのあまりの考え方の違い。
世の中に同じ人間はいないという。
確かに十人十色とはよく言ったものだ。
全く違う事を考えている。
同じ物を見ているのに。
これで人が解り合うことなどできるのだろうか。
結婚相手はどんな人がいい?
と言う問いに、
「価値観の同じ人」
と答える人をTVなどでよく見るが、
そう言う人にぜひ聞いてみたい。
・・・いるのか?そんな人。
自分と同じ価値観を持った人なんて、いるのか?
会ったことあるのか?
少なくとも、俺は今まで同じ考え方をする人に会ったことが無い。
もちろん、気が合う人はいる。
でも、「同じ考え方をする人」には
会ったことが無い。
気が合う人を考えてみる。
確かに似通った考え、立場の人が多いだろう。
しかし、あくまでそれは基本ベースの部分であって、
一歩進めば、自分と逆の性格が多い。
自分は、明らかに自分と違う物を求めている。
全く正反対の人の方が、自分に与えてくれるものは多い。
自分を成長させるために、わざわざ自分とは違う物を認識・理解しようとしているのだろう。
だから自分には無い部分を持った人と惹かれ合うのではないだろうか。
そこで一つ不安になる。
本質をぶつけ合ったならば、
人と人とは相容れないものなのではないか。
自分以外のものを、何事もなしに受け入れていく事などできないのではないか。
人が人を受け入れるには、努力が必要なのだろう。
何もしなくても、人を受け入れられるなんてことはそうは無い。
すべきことは、受け入れられる人を探す事ではなくて、受け入れられるようにすることだろう。
だから俺は、同じ考え方を探すことよりも、違う考え方を受け入れる努力をする。
そして相手に自分を理解させる努力をする。
自分とは違う人を受け入れた時、初めて人は認識能力を拡大するのだから。(NT)
相容れるはずのないものを日常的に受け入れている。
それはきっと、常に関係は破壊の危機にさらされているということだろう。
繊細なガラス細工を扱うのと同じように
人の関係も丁寧に扱わなければ、いつ砕けるか解らない。
ま、そこがおもしろいのだが。
忙しい忙しい。
ま、4月から違うキャンパスで過ごすことになるので今のうちに遊んどこう、ってことで忙しいだけなんだが。
日記も書かないと癖になる。
書いていると書くのが癖になるが。
きっと、4月になったら毎日やることがなくて、日記をつけるのも欠かさない気がするが。
いろんな人と一対一(サシ)で呑むのが流行っている。
というか、俺だけか。
ここ数週間でいろんな人とサシ呑みをした。
たくさんいろいろな話をした。
そしていろいろ考える。
人と話をするたびに、人と自分の価値観の違いに驚かされる。
自分と相手とのあまりの考え方の違い。
世の中に同じ人間はいないという。
確かに十人十色とはよく言ったものだ。
全く違う事を考えている。
同じ物を見ているのに。
これで人が解り合うことなどできるのだろうか。
結婚相手はどんな人がいい?
と言う問いに、
「価値観の同じ人」
と答える人をTVなどでよく見るが、
そう言う人にぜひ聞いてみたい。
・・・いるのか?そんな人。
自分と同じ価値観を持った人なんて、いるのか?
会ったことあるのか?
少なくとも、俺は今まで同じ考え方をする人に会ったことが無い。
もちろん、気が合う人はいる。
でも、「同じ考え方をする人」には
会ったことが無い。
気が合う人を考えてみる。
確かに似通った考え、立場の人が多いだろう。
しかし、あくまでそれは基本ベースの部分であって、
一歩進めば、自分と逆の性格が多い。
自分は、明らかに自分と違う物を求めている。
全く正反対の人の方が、自分に与えてくれるものは多い。
自分を成長させるために、わざわざ自分とは違う物を認識・理解しようとしているのだろう。
だから自分には無い部分を持った人と惹かれ合うのではないだろうか。
そこで一つ不安になる。
本質をぶつけ合ったならば、
人と人とは相容れないものなのではないか。
自分以外のものを、何事もなしに受け入れていく事などできないのではないか。
人が人を受け入れるには、努力が必要なのだろう。
何もしなくても、人を受け入れられるなんてことはそうは無い。
すべきことは、受け入れられる人を探す事ではなくて、受け入れられるようにすることだろう。
だから俺は、同じ考え方を探すことよりも、違う考え方を受け入れる努力をする。
そして相手に自分を理解させる努力をする。
自分とは違う人を受け入れた時、初めて人は認識能力を拡大するのだから。(NT)
相容れるはずのないものを日常的に受け入れている。
それはきっと、常に関係は破壊の危機にさらされているということだろう。
繊細なガラス細工を扱うのと同じように
人の関係も丁寧に扱わなければ、いつ砕けるか解らない。
ま、そこがおもしろいのだが。
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